歴史散歩

姫塚伝説 ~その1~

姫塚

 龍笛(りゅうてき)が杉木立に静かに響いた。何処か、哀切を帯びたその音は、搦手(からめて)の向こうから粛然として聞こえてくる。お稲姫は振り向いて森を見遣った。蒼穹(そうきゅう)に薄紫や淡紅の花々が連なり、その奥に、遠くのたおやかな山々が青み掛かって見える。やがて、笛はその音を静めた。
 程もなく、一人の武士が花の陰から姿を現し、お稲姫の許(もと)に寄った。
 「この辺りでは聞いたことのない音です。その笛は何と云うのでしょうか?」 
 「拙者の故郷に伝わる龍笛でございます。」
 「そなたは?」
 「南町杜氏(とうじ)徳蔵(とくぞう)の弟、辰之丞(しんのじょう)と申します。」
 「左様ですか・・・・・・」
 「拙者は城下の者ではございませんが、由(よし)あって只今兄の家に逗留(とうりゅう)しております。」
 お稲姫は、頷いて遠くの青い山を見た。――
 野鳥の群れが辰之丞の真上の空を川に向かって渡って行った。
 お稲姫は桜草の咲く小川の畦をゆっくりと歩いた。姫は美しかった。襟首が細く、胸元は透けるほどに白かった。細面に、黒目がちの凛々しい瞳が整い、程のよい小さな口唇には優しさが溜まっていた。このような美貌がこの世の中に存在することに、辰之丞は少し気の遠くなるような心持ちがした。
 お稲姫は立ち止まって、本丸に聳(そび)える喬木(きょうぼく)をぼんやりと見ていた。そして、薄っすらと安堵の表情を浮かべた。恵風(けいふう)が心地よく谷あいにそよぎ、お稲姫の肩に木蓮(もくれん)の白い花びらがひらひらと舞った。
 その白い花びらの行方を追いながら、辰之丞は再び姫に語りかけた。
 「久しい昔のことでございますが、拙者この場所にて、お稲様から貝殻を頂いたことがございます。」
 お稲姫はその黒目がちの瞳を辰之丞に向けた。 
 「拙者は、未だ幼い時分に七戸におりました。朱子学を学ぶため、いま十幾年振りに故郷へと帰って参りました。」
 「そなた、学問を・・・・・・」
 「南部の地は群雄割拠が続き、ところどころで戦(いくさ)が絶えません。この地の安寧の為には、士風の作興が必要です。」
 「わたくしも、当節そのように思っております・・・・・・」お稲姫は本丸に視線を戻した。
 「いずれまた参上致します。」辰之丞は踵(きびす)を転じた。
 お稲姫は窈窕(ようちょう)とした姫であった。その衣(きぬ)をも透かすほどの容色は、七戸城下のみならず、南部諸侯にも聞こえ、あるとき七戸城に騒動を起こした。七戸所領には地氏(ぢうじ)と呼ばれる豪族が居たが、中でも七戸氏寄りの有力地氏が姫を見初め、正室にと欲した。しかし、姫は頑としてこれを拒み、七戸城主七戸家国(いえくに)は難儀した。

 この頃、現在の青森県を含む北奥羽一帯は、南部宗家(なんぶそうけ)三戸氏の支配下にあった。
 しかし、津軽では、大浦為信(おおうらためのぶ)が南部宗家による津軽支配から独立するために大規模な反乱を起こしていた。
 天正十年(一五八二年)六月、織田信長を後継した豊臣秀吉が天下統一の大業に着手した。
 その五ヶ月前、南部家では、田子城主南部信直(のぶなお)が奉迎(ほうげい)されて三戸城に入り、南部二十六世の太守に就いたが、南部家の有力武将の中には、信直の太守就任を不服とする者が少なからず居た。その背景には、二十五世南部晴政(はるまさ)が亡くなった後の、嗣子(しし)晴継(はるつぐ)と養子信直の後嗣(あとつぎ)争いがあった。

 晴政亡き後、世を継いだのは嗣子晴継であったが、晴継は亡父晴政の葬儀の後、三戸城へ帰城する道中何者かによって謀殺(ぼうさつ)れた。その時の嫌疑が信直にかかった。
 一方、南部晴政の娘婿に南部一族の中でも強い勢力をもつ有力武将九戸政実(くのへまさざね)が居た。政実は兼ねてより、弟実親(さねちか)を晴政の後継者にしようという目論見を持っていたため、晴継暗殺後の、南部信直と九戸実親による後継争いは峻烈を極めた。そして、お世継ぎはついに南部の重臣による評定で決するところとなった。当初一族の間では、実親を推す勢いが強かったものの、様々な計略が巡らされ、最終的に信直が後嗣に決定した。九戸政実は、南部宗家が晴継暗殺の嫌疑の残る信直によって継承されたことに不満の念を抱き、憮然として自領へ帰還した。そしてこの頃から、政実は自らが南部の当主であると自称するようになっていた。
 七戸城主七戸家国(しちのへいえくに)は、南部家後嗣争いにおける内訌(ないこう)に際して、九戸政実とともに反信直の立場を表していた。このため七戸所領では様々な思惑が錯綜し、時節は不穏の様相を呈していた。

 天正十五年(一五八七年)、皐月十日。
 薫風の靡(なび)く奥州街道を、辰之丞は北へと急いでいた。三本木原に入ると道は段々と平坦になり、西に残雪の八甲田を望んだ。
辰之丞は一人、その麓(ふもと)七戸城下を目指していた。辰之丞には、徳蔵(とくぞう)という九つ上の兄があった。盛岡に生まれた兄弟は幼くして母を無くし、杜氏だった父とともに七戸城下に移り住んだ。
 徳蔵は、父の業(ごう)を継ぎ、やがて頭領となってこの地で妻をもらった。幼くして、文武に秀れた辰之丞は、嘱目されて養子となり、三戸城下の武家に迎えられた。辰之丞は、眉目秀麗(びもくしゅうれい)にして、勁草(けいそう)な男であった。剣と学問をよく学んだ彼は今、大小を腰に帯び、兄の許(もと)へと向かっていた。
 青々とした稲穂の波が左右に拡がり、所々に深い森が見渡せる。その景色をしばらく進むと八幡岳(はちまんだけ)が次第に大きくなってきた。七戸城下は近かった。新緑の木立を抜け、長い坂を登り切ると辰之丞は丘陵の上に立った。
 眼下に商家の家並みが見渡せた。思えば、幾星霜(いくせいそう)を経たであろうか・・・・・・
 辰之丞は、七戸川にかかる木橋を渡り、商家の立ち並ぶ小川町(こがわまち )に入った。そこから二町許(ばか)り進むと、一際大きな土蔵があり、何処からか酒粕の匂いがした。それは懐かしい匂いであった。辰之丞は、山平(やまへい)の号を確かめ、裏にまわって、訪(おとな)いを入れた。
 「どちらさまでしょうか?」小女が云った。
 「徳蔵の弟、辰之丞でございます。徳蔵に繋いでもらえまいか。」
 「お待ちくださいまし。」小女はそう云って奥に下がった。
 暫時の後、戸が開いた。
 「徳蔵様のお住まいにご案内申し上げます。」
 小女は足早に酒蔵の並ぶ南町通りへ出て、西へ向った。
 徳蔵には内儀志乃(ないぎ しの)と嗣子(しし)申之助(しんのすけ)があった。
 徳蔵は、南町の西端の小さな家に住んでいた。南町は道一つ隔てて川原町へと繋り、大手門までは四町程の距離である。

 徳蔵の家に着くと、志乃と申之助が辰之丞を迎えた。
 「辰之丞様、よくおいでなさった。ご立派に成られました。」
 「ご無沙汰しておりました。」辰之丞は申之助を抱き上げた。
 「六つになりました。徳蔵様がお帰りになるまで、緩(ゆる)りとお休み下さいまし。」
 「はい、先ずは一休みさせていただきます。」辰之丞の言葉に、志乃は微笑んだ。
 未の刻(午後二時頃)、辰之丞は家を出て川原町へ入った。馬せり場の向こうの丘に、七戸城の本丸が一際威厳を示していた。――七戸城は、柏葉城とも云われた。城郭は、本丸、二の丸、北館、下館、西館、角館、宝泉館の七郭より成り、大手、搦手等の虎口、その外に南外郭、西外郭、貝ノ口郭、北西外郭などの出城と呼ばれる枝城があった。さらに場内には、空堀、帯郭、腰郭、武者隠しが張り巡らされていた。
 大手門を右に仰ぎながら、三町許(ばか)り行くと、人一人ようやく通れる木橋が川に架かっていた。その橋の袂(たもと)で、辰之丞は立ち止まった。作田川は上流の山裾から発し、田を縫って下流へと続いていた。
辰之丞は城の見取図を仔細に見た。
 ――この橋から作田川を上り、南外郭と腰曲輪(こしぐるわ)の間の森を抜け、深い沢を一つ越えれば、搦手門(からめてもん)か北館(きただて)の周辺に至る。その北には西外郭、東には貝ノ口郭が広がっている・・・・・・
 眼前の作田川は、この八町程下流で和田川と合(がっ)し、七戸川となって城下を流れていた。
 (この川の上流の東側は、段丘となって、松や杉が壮大な森を造っている。作田川を上流に上り、搦手門の北へ出てみよう・・・・・・)と、辰之丞は思った。
 明くる日、辰之丞は、作田川の木橋の手前を右に折れ、川べりの小径を上流へ上った。青い稲田の向こうに残雪の八甲田が聳えている。辰之丞は南外郭の手前から東寄りに反れて杣径(そまみち)に入った。林の中を行くと、右に腰曲輪が見渡せた。沢は深く、意想外に湿っていた。――次第に杉の木立が賑わい、登り切った途端、鬱然(うつぜん)とした森が広がった。更に草を掻き分けていくと、突然、視界が開けた。搦手門はしんとしていた。
 そこから北へと足を踏み入れて程なく、北館の西端に出た。――空堀を超えて、小さな沼を掠め、森を潜って、西外郭に至ると、桜草の咲く草原が開けた。
 すると、遠くに花を摘むお稲姫の姿があった。――辰之丞は、懐に忍ばせた龍笛を手に取り、虚心に奏でた・・・・・・
 ――そうして、辰之丞はお稲姫と邂逅(かいこう)した。

 皐月十四日、辰之丞は、漆原桂節(うるしはらけいせつ)を訪ねた。桂節は、山躑躅(やまつつじ)の咲く、小高い丘の上にある神社の懐に居を構えていた。
 門の前に立ち、訪いを入れると、背後から声がした。
 「何か御用でございますか?」
 見れば若い女が、風呂敷き包みを持って、立っている。
 「南町の辰之丞でございます。」辰之丞は目礼した。
 若い女は礼を返して、門を開けた。
 屋敷に入って、廊下を伝い、庭に面した畳の間に通された。しばらく待って、漆原桂節が現れた。儒者らしく、髪を忽髪(そうはつ)に結い、雄偉(ゆうい)な風貌である。桂節は、未だ若い時分に京で朱子学を学び、現今その侃諤(かんがく)の説は南部宗家にも聞こえた。桂節は座して、辰之丞の眼をじっと見詰めた。それは隙のない眼であった。数瞬の後、桂節はおもむろに云った。
 「徳蔵殿から話は聞いておる。」
 「辰乃丞と申します。御面晤(おめんご)に与かり光栄に存じます。」
 「貴公、学問がしたいとのことだが。」「はい、先生に朱子学をご教示いただきたく、こちらへ参りました。」
 「何故学問がしたい?」
 「南部は、その広いご領地にもかかわらず、土地は決して肥沃とは云えず、冬は雪に閉ざされます。不作となれば飢饉が起きます。畢竟、民を救うのは学問ではあるまいか、と思量しております。」 
「その通りじゃ。お殿様は五穀豊穣に意を用いておられるが、やませが吹けば収穫は落ちる。領内の石高も決して高くはない。貴公の云うとおり、士気の昂揚を図り、民を導くことが緊要じゃ。」
 「はい・・・・・・」
 「学問を志す気持ちはよい。しかし、先ずは領内を見て回っては如何かな。田は未だ十分な水も行き渡っておらねば、新たな田も墾(ひら)かなければならないかなければならぬ 。それを己が眼で見てみることじゃ。
 「はい。作田川を上(かみ)に伝って、田を見ながら、山へと向かってみようかと思います。」
 「それは頼もしい話じゃ。ところで、今年は丁亥(ひのとい)、来年は戊子(つちのえね)じゃ。穀物の種子は未だ地の中にあるが、滋養を蓄えて、来るべき時に実を結ぶに相違ない。どうじゃ、八幡岳に登ってみては如何かな?頂上には山の神が祭られておる。城下では元服したものは山の神に詣でる仕来りになっておる。」
 「承知仕りました。早速兄に聞いてみます。」
 「徳蔵殿ならばよく存じていられよう。時に雪斎はどうしておる?雪斎は承知のとおりわしの弟子じゃ。」桂節は笑った。
 「雪斎先生は、過日、上洛されました。」
 この頃、京の豊臣秀吉のもとに、本領安堵の朱印を与るために戦国大名が続々と上洛していた。南部信直も自国平定の為、京の鷹匠田中清蔵に斡旋を求め、側近北信愛(きたのぶちか)を前田利家のもとに送り、秀吉からの朱印を乞うていた。
 一方、南部領内では、既に戦国大名としての地歩を確立していた八戸の根城南部氏が勢力を堅持し、七戸氏、九戸氏ら有力大名と拮抗していた。しかし、このような群雄割拠の世にあって、太守南部信直は、いずれ天下が秀吉に帰一することを推し量っていた。
 「雪斎は具眼(ぐがん)の士じゃ。歴史に通じており、信直公の信頼も厚い。今、南部では様々な問題が勃発している。喫緊の課題は、先ず諸侯の混乱を収拾することじゃ。南部領内では、お世継ぎ問題の折、九戸政実(くのへまさざね)が反旗を翻して以来諸侯の足並みが乱れている。一歩間違えば、領内で南部一族同士が干戈(かんか)を交えることになる。丁亥と云えば、京の街を炎に包んだあの応仁の乱から丁度百二十年が経つ。何事も起こらなければよいのじゃが・・・・・・桂節は懐手を組み、懸河(けんが)の勢いで語った。
 「雪斎先生も今日の混乱を憂慮しておられました。」
 「貴公、三戸では雪斎から何を学んだ?」
 「これが雪斎先生からお預かりした書状です。」辰之丞は懐から書状を取り出し、桂節に手渡した。桂節はその書状をじっくりと読んだ。――そして、眼を上げた。
 「漢詩の素読は出来るようじゃな。」
 「はい。」
 「ふむ、そうか朱子学をか・・・・・・」
「拙者、兼ねてより先生に朱子学の教えを被りたいと存じておりました。」辰之丞はしっかりとした語調で答えた。
 稍あって、桂節は浅く息を吐いた。
 「よかろう。――」
 その一言に、辰之丞は安堵した。
 ――ふと、床の間に眼を遣ると、一枚の水墨画が掛けられていた。
 「これはわしが画いたものじゃ。八甲田は誰(たれ)も近づくことの出来ない険しい峰じゃ。大浦為信もあれを超えてくることはできまい。」桂節は表情を動かさなかった。 (大浦為信・・・・・・津軽独立の旗手)辰乃丞は沈黙した。

 そのとき、障子の外から声がした。
 「失礼いたします。」障子が開き、ついさっき門先で会った若い女が、茶を盆に載せて入ってきた。
 「娘のお悠じゃ。この塾を手伝っている。」
 「先程は、・・・・・・」辰之丞は軽く会釈した。
 「はい、徳蔵殿の――」
 「弟の辰之丞と申します。」
 「徳蔵殿や志乃さんには、予ねてから懇意にしていただいております。」
 お悠は辰之丞の前に茶碗を置いた。その所作には物静かな品格が漂っていた。
 「それでは、ごゆっくりと、・・・・・・」お悠は障子を静かに閉めた。
 「辰之丞殿、それではこれを書写してもらおう。――」
 桂節は経典『大学』(だいがく)を取り出した。辰之丞は、その浩瀚(こうかん)な書を蹴然(しゅくぜん)として、手に取った。
 ――大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在り、民(たみ)に親しむに在り。至善(しぜん)に止(とど)まるに在り・・・・・・
 「四書五経、取り分け論語は必読の書じゃ。が、その前に大学を読まねばならぬ。何故ならば、大学には論語の要諦、つまり朱子学の基本が記されているからじゃ。」
 「――幸甚に存じます。これより精進いたします。」
 「若い時分は誰しもが、客気(かっき)に動かされる。それ自体は良いことじゃ。しかし、何事にも陥穽(かんせい)がある。呉々(くれぐれ)も意を用いることじゃ。」
 「仰せの通りです。拙速は慎みます。」
 「よかろう」桂節は浩然と云った。
 ――辰之丞は桂節の水墨画を見詰めながら、山の話をした。
 「拙者、八幡岳に是非とも登ります・・・・・・」
 「山の神に詣でるがよい。七戸城下のみならず、南部の御領地が一望される。」
 「必ずや。――」
 「それから、大学の書写にも励まねばならぬ。早速明日から参られ。」
 「はい、それでは明日巳の刻(午前十時頃)に参上し、書写を始めます。」
 桂節はゆっくりと首を縦に振った。
 その後、辰之丞は大学をじっくりと読み、一刻半の後桂節の塾を辞去した。

 南町に差し掛かると、道端で申之助が志乃と遊んでいた。
 「作田川まで行って参ります。」志乃にそう告げて、辰之丞は川へ出掛けた。
 黄昏(たそがれ)てゆく、川面(かわも)の揺れる様(さま)を見詰めて、辰之丞は昔日(しゃくじつ)を反芻した。

 あれは、辰之丞が六つの頃のことであった。夏はもう直ぐに終わろうとしていた。
 徳蔵と辰之丞は、この川に山女魚(やまめ)釣りに出掛けた。徳蔵は山女魚を釣り上げながら南外郭の西側を川沿いに上流へと上(のぼ)って行った――。丁度、南外郭の森に差し掛かったとき、辰之丞は川岸の藪の中に幾つもの木通(あけび)を見付けた。木通の実は熟れて、縦に割れ、種をもった白い実が現れていた。辰之丞にはそれが宝物のように映った。縦に割れた木通の実を追って、一人藪の中に分け入った。
 ――気が付くと辰之丞は徳蔵にはぐれていた。その時、何故か辰之丞は、その白い実を頬張りながら、沢を奥へと入っていった。長い森を抜けると、紫の花畑が、突然眼前に開けた。
 「ここは何処だろう?」辰之丞は、そこに至って始めて、名伏し難い不安に襲われた。
 花畑は、森の間を彼方へと伸び、末に微光を放った。
 こちら側には、百日紅(さるすべり)が群れるように赤い花を咲かせていた。――その時、花の陰から小さな声がした。
 「どちらへ行かれるのですか?」お稲姫が忽然(こつぜん)と現れた。
 (この方は・・・・・・何方様だろう・・・・・・・)
 辰之丞は、唖然として幼い姫を見詰めた。
 「ここはお城の中です。戻られたほうがよろしかろうか、と思います。」
 姫は微笑を湛えながら、そう云った。
 「申し訳ございませぬ。」
 「謝らなくてもよいのです・・・・・・あちらへ参りましょう。」
 それから二人は桔梗(ききょう)の花の生い茂る野原に戯(たわむ)れた。野原には、湧き水が流れ、アオスジアゲハの番(つが)いがその水を吸った。
 辰之丞は木通の実をせせらぎの向こうに見付けた。その実は房を四つに付け、熟れて水面の上に垂れていた。辰之丞は向こう岸に飛び移り、少し割れた実を獲った。木通の実を姫に渡すと、姫は微笑んで、掌(てのひら)に取った・・・・・・

 やがて、薄暮(はくぼ)が来た。
 「こちらまでお出でなさいまし。」姫が云った。
 「かしこまりました・・・・・・」
 辰之丞は姫の元に寄った。寸刻の後、姫は小さな蛤の貝殻を、辰之丞の掌に置いた。
 「有難うございます。」辰之丞は、受けた掌の貝殻を握り締めた。
 「また、ここへ遊びに来てくださいまし。」姫は鈴を張ったような眼をして笑った。
 辰之丞は微笑を返し、深く頭を下げ、森の中へと走った。――
 辰之丞が木通の蔓をぶら下げて川岸まで辿り着いた頃、徳蔵と山平の男衆(おことし)が川の上流から下流に渡り辰之丞を捜していた。・・・・・・家に帰り、辰之丞は、徳蔵に沢の奥の森に入ったことを仔細に話した。徳蔵は黙って聞いていた。
 「今日あったことは決して他言してはならぬ。」そう云って、徳蔵は部屋を出た――。
 ――それから幾許(いくばく)もなく、辰之丞は養子に出た。

 ・・・・・川面には、赤みがかった光が揺れていた。辰之丞は掌(てのひら)の貝殻を見詰めた。
 (時は移ろい、十余年の月日を経た。けれども、お稲様は確かにお城にいらっしゃる・・・・・・)
 南町の家に戻ると、往来には影が落ち、商家の灯かりが燈っていた。
 その夜、辰之丞は徳蔵に山のことを話した。
 「今日、桂節先生のところへ伺いました。七戸の西方に広がる山々は自然の要塞のようです。」
 「八甲田には、冬場はもちろんのこと、夏場でさえ人は容易に入れない。八幡岳ならば、狩りで入る者がおる。」
 「案内をお願いできる方はおりますか?」
 「八幡岳の麓に山舘(やまだて)という部落がある。そこに左右吉(そうきち)という者がおる。八幡岳には左右吉が案内する。梅雨が来る前がいいだろう・・・・・・八幡岳からは八甲田連峰と津軽の地を望むことが出来る。これは定かではないが、津軽や南の湖に抜ける獣道(けものみち)があると聞いたことがある。」
 「よろしく頼みます。」

続き(姫塚伝説 ~その2~)

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