歴史散歩

姫塚伝説 ~その3~

 文月二日、朝から小糠雨(こぬかあめ)が降っていた。
 巳の刻(午前十時頃)、雨が止んだ。辰之丞は南町を東に進み、四辻を右に折れ、小川町に入った。瀬戸物屋や呉服屋が軒を連ね、お店者が熱心に働いている。往来の半町先を、風呂敷包みを抱え、傘を柄高にさした女が歩いていた。辰之丞は、背格好を見て、その女がお悠だと分かった。程なくして、お悠は寺の門を潜った。門の前で寺小姓に訊ねてみると、ここはどうも街寺らしい。
 辰之丞は桶に水を汲んでいるお悠に礼をした。
 「御寮人様、お墓参りでございましょうか?」
 「はい。今日は、母の月命日でございます。」
 「桂節先生は?・・・・・・」
 「父は、お城へ登りました。」
 「左様でございますか、拙者も御母堂のお墓にお供してもよろしいでしょうか?」
 「かたじけなく存じます。」
 桶を手に持ち、二人は墓地へと入っていった。墓地の奥には、大きな銀杏の老木が二本聳えていた。その陰にこの地方では珍しい五輪塔があった。そこに卒塔婆(そとば)が数基建っている・・・・・・
 お悠は、墓に花を手向け、手を合わせた。鬢(びん)の毛は麗しく後ろに流れて、凛呼とした様は、際立って清潔さを感じさせた。
 辰之丞は、腰を落として墓に手を合わせた。
 「有難うございます。」お悠の声は、言い知れぬ韻律を伴って辰之丞に聞こえた。
 ――二人は墓地を後にした。
 「明日また、塾へ伺います・・・・・・」辰之丞は門前で、お悠を見送った。

 この時期、地氏向坂慶四郎は、切田氏、米田氏、沢田氏ら三本木在の地氏を結束し、七戸家国に与(くみ)する姿勢を示していた。これにより、七戸氏の勢力は増大した。一方、向坂はお稲姫を正室にすることを期し、天内家老に政治的圧力を加えていた。七戸氏と姻戚関係が結ばれ、家臣に召されることは、地侍から成り上がった向坂にとっては、正に一石二鳥であり、是が非でも実現したい切望であった。

 辰之丞は寺からの帰りに、夕凪の七戸川の岸に立った。白雲が夕暮れに浮かび、せせらぎが聞こえた・・・・・・
小川町から左に折れて、南町に差し掛かった頃、通りの向こうで徳蔵が申之助を遊ばせていた。家の戸を開け、土間に入ると、勝手から志乃の声がした。
 「今晩は蕎麦(そば)がきに致しましょう。」
 「ありがとうございます。七戸の蕎麦がきは一際です。」
 志乃は微笑を返した。

 徳蔵は杜氏らしく存分に酒を飲んだが、辰之丞は下戸であった。
 ――夜も更けて、志乃は申之助を連れ、座を立った。
 夜陰が満ち、障子の外に静けさが沈んでいた。その静けさの中で、徳蔵は酒を受けながら、語り始めた。
 「お悠様の御母堂は、はじめ山平で奉公をしていたそうだ。何の縁かは知らぬが、漆原桂節の内儀になった。それは目を見張るばかりの器量だったらしい。」
 「父も存じ上げていたのでしょうか?」
 「分からぬ。親父が七戸に来た時分には、既に桂節に嫁いでいた筈だ。その桂節の内儀が、どういう理由かは分からぬが、いつしかお城の奥勤めをするようになったそうだ。その折お殿様のお手が付き、やがてお稲様が生まれた。が、桂節と内儀の間には既に子があった。それがお悠様だ。」
 「お稲様とお悠様はご姉妹・・・・・・もしや寺のお墓は萩の方?」
 「そうだ。萩の方は町人として葬られている。お悠様は当然のことながら、お稲様を慮(おもんぱか)っておられよう。」
 「お二人がお会いしたことはあるのでしょうか?」
 「御目文字は一度も叶っていないようだ。」
 それを聞いた辰之丞は憤った。
 「拙者、今度こそお稲様を向坂の手から逃れさせます。」
 「辰之丞、姫様を懸想(けそう)したのは今となっては、致し方あるまい。」徳蔵の語調には諦念があった。
 「拙者、馬を駆って姫様を一時(いっとき)左右吉殿のところへお連れし、身を隠したく存じます。」
 「しかし、それはお殿様の忌諱(きい)に触れることだ。まさか意ある者が使嗾(しそう)した訳でもあるまい。」
 「――拙者、お稲様と赤縄(せきじょう)の契りを結びました。このままでは姫様は、不幸の身になられます。」
 徳蔵は顔を顰(しか)め、黙考した。
 「一時(いっとき)ならば、お前の云うように八幡岳の麓に身を隠せよう・・・・・・しかし、どんなことがあろうが、お前はお稲様とともに生きなければならぬ。我らに累が及ぶことは心配するな。左右吉ならばいずれ山の奥の湖まで案内できよう。」

 文月十日。
 夏雲が空にぽっかりと浮かび、初夏の心地よい風が街に流れた。その日、未の刻 (午後二時頃)、辰之丞は桂節の塾に行った。菅笠(すげがさ)を被っていても少し暑い程であった。
 この頃、城内である椿事(ちんじ)が出来(しゅったい)した。向坂が家国への謁見(えっけん)とお稲姫の輿入れを家老天内に求めたのだ。

 ――辰之丞はこの日も、桂節の塾で大学の書写をしていた・・・・・・
 ・・・・・・古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先(ま)ず其(そ)の家を斉(ととの)う。其の家を斉えんと欲する者は、先ず其の身を修む。其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しうす。其の心を正しうせんと欲する者は、先ず其の意(こころばせ)を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。知を致すは物を格(ただ)すに在(あ)り。・・・・・・

 辰之丞はその意味を考えた。

 (明徳とは?物を格すとは?その真の意味とは果たして如何なることか?)
 戸が開いて、桂節が入って来た。そして、辰之丞の筆を見ながら云った。
 「四書五経の一つ「大学」には、「三綱領八条目」がある。これは、人間の真の心を養う道じゃ。三綱領は「明徳を明らかにする」「民に親しむ」「至善に止まる」の三つがある。明徳とは、人の内にある陽だ。徳には時折我という雲が翳るものじゃが、しかし、これを取り除けば、我と天、我と他人の間に心が通じ、理を正しく弁えることができる。一方、「八条目」には、――「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」――がある。我を格し、自らを真の姿に戻すことは、つまるところ、知行合一(ちごうごういつ)であり、明徳に至るための核心じゃ。更に我を深くすれば、孟子の云う性善に至る。畢竟、これが朱子学の核心要点 だと云ってもよい。」

 辰之丞はもう一度、眼を下に向け、思案した。
 (今必要なことは、人の内にある陽つまり明徳だ・・・・・・)
 桂節が頷いた。

 「先生、南部の分裂はどうにか回避できるのでしょうか?」
 「お殿様は九戸政実に加担される公算が高い。このままでは南部は分裂する。そうすれば、南部宗家との戦いになる。しかし、これは何としても避けなければならないことじゃ。」桂節はしっかりとした口調で云った。
 「拙者もそう願っております。」
 「貴公は、七戸の者ではないが、徳蔵殿の弟君じゃ。そして武道に優れている。嘉平が兼ねてより貴公をお稲様の付き人に、とご家老に 推挙していたが、近々に御下命がある。実家のこともあろうから、身分は伏せて南部浪人としておく。」
 「拙者、有り難くお受け致します。」
 「それでは、御下命後登城(とじょう)し、ご家老の配下としてお稲様の守護をお願いしたい。――お稲様には、夕菅(ゆうすげ)という侍女がおる。これはなかなかの切れ者だ。先ずは、夕菅とともに近く開かれる茶会の守備をお願いする。」
 「承知仕りました。」
 「呉々も遺漏なきように。」
 ・・・・・・帰りがけに、お悠が門の外に辰之丞を追ってきた。
 「少しよろしいでしょうか。」
 「はい。」辰之丞は顔を上げた。
 「父から聞きました。お稲様のご守護のためお城に登るとのこと、どうか、お稲様をお守りくださいまし。」
 お悠は、辰之丞に深く頭を下げた。――その目には憂いが浮かんでいた。

 その時分、九戸政実の南部宗家に対する反逆に同じて、七戸家国は周辺の有力地氏を糾合(きゅうごう)し、あわよくば南部信直の居城三戸城を攻めようとしていた。

 ・・・・・・その日夕刻、辰之丞は夏木立を抜け、西外郭へ登った。
 「拙者、この度の茶会にお供することになりました。」
 「左様ですか。わたくしは向坂のお茶会なぞに列したくはありません。」
 「いざという時は、拙者が身を張ってお守り申し上げます。茶会の翌日には、お稲様を八甲田の南の湖へとお連れいたします・・・・・・手筈は万事整えております。」
 ――お稲姫は、肯いた。

 文月十四日、城から使いの者が来た。家老天内主税から、お稲姫守護の下命があった。辰之丞は即刻登城した。大手門を潜ると本丸と二の丸の間に樅(もみ)と杉の喬木が聳え立っていた。それは西外郭の花畑から眺めたものだった。
 辰之丞が伺候したとき、家老天内は大広間の上座にうっそりと座していた。天内は髪に霜を置き、才子の風格があった。下座には、臣下の者と侍女夕菅が列座していた。辰之丞は着座した。
 「辰之丞殿、爾今(じこん)お稲様の守備をお願いする。」
 「この度、御守護のお役を仰せつかり光栄に存じます。命を懸けて、お稲様をお守り申し上げます。」
 「これは心強いことだ。」
 「万が一、法度に違背するような仕業があれば、何人と云えども斬捨て構わぬ。」
 「承知仕りました。」
 「あれが侍女、夕菅だ。」
 「夕菅でございます。――」
 「夕菅は機転の利く女だ。いざというときに備えて城の手の者を仕度しているが、先ずは夕菅に従うよう・・・・・・。時に、二日後、向坂慶四郎を正客(しょうきゃく)とする茶会がある。向坂は治世に当たり重要な人物である。呉々も手を尽くすように。」
 「有難く拝聴仕りました。」辰之丞は首肯(しゅこう)した。――
 程もなく、辰之丞は下城し、家老天内は、夕菅に構えを質(ただ)した。
 「辰之丞は、腕は確かな男だ。――しかし、向坂のことゆえ、明日は、何が起こるかわからぬ。寸刻も目を離さぬよう・・・・・・」
 「確(しか)と承りました。」
 「それから、姫様のことだが・・・・・・殿が、ご様子を気にかけておられる。細大漏らさず、内報するように念を押す。」
 夕菅は、天内にひれ伏した。
 ――その二日後、地氏向坂慶四郎を正客とする茶会が七戸城にて催された。
 辰之丞は早朝の刻限に登城した。七戸城は、茶室を北館の西端に設(しつら)えていた。茶室はお稲姫の館と並んで位置し、その西北には、空堀を隔てて花畑の広がる西外郭が続いている。
 暫時の後、辰之丞は本丸から北館にある茶室へと参じた。北館の茶室の前に立つと、空堀の向こう側を見渡した。西外郭はいつもと同じようであった。その時、お稲姫の館の戸が開き小鶴が現れた。小鶴は夏衣(なつごろも)を着て、風呂敷き包みを一つ持っていた。
 「お暑うございます・・・・・・お武家様、落し物でございます。」小鶴は辰之丞に寄った。
 「かたじけなく存じます。」

 巳の刻(午前十時頃)、向坂が登城した。向坂と従者は大手門から本丸に登り、城主七戸家国に謁見した。七戸の南一帯に所領を拡大した向坂は、この時七戸家国に与(くみ)することを約した。
 その後、昼飯(ちゅうはん)を挟み、北館の茶室へと移った。この日の亭主は家老天内が勤めることになっていた。向坂一行は、先ず待合に通された、菓子は白と茶の駒饅頭。そして大広間に移動し、濃茶点前と続いた。家老天内は亭主の座から、典雅な振る舞いで茶を立てた。向坂は、如何にも地氏といった風貌である。
 それから一向は、庭に出て、にじり口から四畳半の茶室に入り、両拳(りょうこぶし)をついて家老天内へにじり寄った。薄茶点前・・・・・・青竹を模(かたど)った飴が供された後、薄茶が正客の向坂から順に配された。黄菅(きすげ)が床に飾られている。向坂は漆で塗られた香合(こうごう)を手に取り、じっくりと見入っている。続いて、緑の地に琥珀の入った水差しと風炉釜(ふろがま)を拝見し、大広間へ戻った。
 初夏の茶は涼しく、北館には木立を縫った陽光が差していた。
 ――そうして膳部(ぜんぶ)と酒が振舞われた。
 お稲姫は長い廊下を抜け、大広間へ入った。絹布(けんぶぷ )の振袖を着た姫は大層美しかった・・・・・・
 家老天内と向坂は、杯を傾けながら天下の情勢を論じた。次第に一同に酔いがまわり、座が乱れた。向坂は当節頭角を現した利者(きけもの)だったが、悋気(りんき)の激しい性格だった。その為か、家国の経世やその系譜についても矯激(きょうげき)な言動が目立ち、黒白(こくびゃく)を弁ぜず、の感があった。向坂は杯(さかずき)を片手で持ち、お稲姫に厭がらせを云った。家老天内は、座を鎮めようと臣下の者を回し、手を配った。しかし、酩酊した向坂は止まらなかった。そうして、向坂はついに姫に醜行(しゅうこう)を働いた。
 ――お稲姫はついに否(いな)を表した。
 辰之丞は廊下で鯉口(こいくち)を切ったが、
 「お茶会から連なる席でございます。」と、夕菅に身を張って止められた。
茶会が退けた・・・・・・向坂と従者は酔いの醒めない儘に城を下りた。虎口(こぐち)を出ると、一行は倉卒(そうそつ)の間に殷賑(いんしん)の地へと消えていった。時は既に申の刻(午後四時頃)を過ぎていた。
 お稲姫は館に帰ると、畳に蹲(つくば)い、悲憤慷慨した。夕菅が見兼ねて姫に寄った。
 「夕菅、今日はもう下がってもよい。」
 「承知仕りました。」夕菅は仕方なく間を下がった。
 それから程もなくして、お稲姫は辰之丞が小鶴に託した付け文を開けた。
 文(ふみ)には、辰之丞が既に駿馬を手配し、明朝日の出を待って北館の館へ参上する旨、記されていた・・・・・・

 陽は既に傾いていた。お稲姫は濡れ縁から館を出た。――
 小径には、花畑の縁を流れる湧き水が静かな音(ね)を立てていた。せせらぎは澄み渡って、木立に入り、音を引きながら、谷あいへと流れた。――振り向くと、遠い山々が、薄暮の中に屹立している・・・・・・。
 ――お稲姫は眼をつぶり、山々に向ってそっと手を合わせた。

 日は直に明けようとしていた。暁闇の中、辰之丞は身支度を整え、徳蔵の家を発った。
 作田川を登り、南外郭の森に掛かる頃には空が薄っすらと白み始めていた。沢伝いに木立を抜けると、百日紅(さるすべり)の花が未だ薄い陽に赤く映っていた。辰之丞は、龍笛を手に取った・・・・・・調べは少し涼しいほどの朝の風に密やかに響いた。――

 風は館に流れ着いた。その音を聴いて、お稲姫は障子を開け、濡れ縁に出た。その刹那、夕菅が走り寄った。
 「お稲様、なりませぬ。この夕菅が命を張って御止め申し上げます。」
 「夕菅、これがお稲の最後の我儘です。」
 「お目溢しは、出来ませぬ。」

 辰之丞の背後に僅かな気配があった。いつのことだったか・・・・・・この場所で、同じようなものを感じた。それは、些細な気配であった。
 辰之丞は、笛を奏でながら後方の気配から段々と左に流れた。なお、その気配は近寄ってくる。間合いを計り、目釘を湿し、花畑に一気に走り出た。次の瞬間、数人の黒装束が囲んだ。既に抜刀している。辰之丞は柄から刀を抜き、八双に構えた。

 「何の意趣か?」辰之丞はももだちをとった。

 一人が背後から、掛かって来た。一撃を外し、右袈裟に斬った。――敵は、二人、三人と嵩(かさ)になってかかってくる。辰之丞はかろうじて斬捨てた。辰之丞の深い呼吸がゆっくりと流れた・・・・・・背後から四人目が襲い掛かってきた。一撃を柄で受け、体を突き飛ばした。相手は後ろに引き、今度はゆっくりと左右に動いた。辰之丞はこの動きに見覚えがあった・・・・・・直ぐに突きが来た。辰之丞は相手の空いた胴を払って進んだ。その刹那、どうしたことか、のけぞって朝焼けの空を見た・・・・・・花畑の中を小さい頃の想い出が走り去り、辰之丞の体はドサッと草叢(くさむら)に斃れた。
 ――懐には蛤の貝殻が一つ、入っていた。
 夏が過ぎ、初秋の涼風が西外郭に吹いた。お稲姫は雨のしんしんと降る夜、白装束を身に纏い、北館の館を出た・・・・・・姫は草叢(くさむら)で、従容(しょうよう)として毒を仰いだ。
 白い杜鵑草(ほととぎす)の花が一輪、風に揺れていた。

 明けて、天正十六年(一五八八年)三月、南部信直は、津軽に大浦為信を討とうと、七戸家国、九戸政実らに出陣を命じ、自ら七戸城まで出向いたが、叛意が明らかになった。信直は、三戸城に帰城せざるを得ず、この為ついに津軽の独立を許した。
 この頃、豊臣秀吉は小田原の北条氏を攻めるに当たり、奥州諸侯に対しても小田原参陣を促していた。南部信直は、八戸の根城南部氏とともに出陣し、天正十八年(一五九〇年)七月豊臣秀吉によって小田原城は落城した。
 その後、秀吉は天下統一の総仕上げとして奥州征伐の大軍を派兵し、征伐軍は宇都宮に至り、次いで会津に進軍した。
 翌十九年(一五九一年)元日、信直は三戸城で南部家の新年祝賀会を催したが、七戸家国、九戸政実をはじめとする十名の諸侯が欠席した。そして、九戸政実は同年三月挙兵した。七戸家国らも九戸政実に加担し、ここに九戸政実の乱が起こった。七戸周辺の有力地氏は七戸家国に党し、七戸、九戸勢は各地で優勢に戦いを進めた。この為、南部信直は止む無く豊臣秀吉に使者を送り、討伐を要請した。秀吉はとうとう豊臣秀次を総大将する奥州再仕置軍を発し、徳川家康の家臣井伊直政らを主力とする討伐軍が北へと進んだ。後に、津軽の独立を果たしたばかりの大浦為信らが参戦し、総勢十万の討伐軍は、九戸城を陥落させた。
 同年九月、秀吉から九戸征伐の加勢を命じられた、越後宰相上杉景勝は七戸所領を急襲し、七戸城は落城した。

姫塚伝説~三~

現在、柏葉城址 国史跡七戸城趾 七戸代官所跡北西の谷あいに、姫塚がある。

*参考文献一 七戸町史一~四(七戸町史刊行委員会)
参考文献二 大学 (講談社学術文庫)宇野哲人訳

続き(姫塚伝説 ~解説~)

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