上北ものづくりの手

佐藤 嘉信(さとう よしのぶ)さん

佐藤 嘉信さん

七戸町でただ一人、南部小絵馬を作り続ける職人。
その手はまるで、女性のようなふっくらと丸味を帯びた優しい手。
七戸町伝統の南部小絵馬を大切に思う気持ち、いい加減なことはしたくないという信念の深さが伝わってくるような、繊細な職人の手だ。

南部小絵馬と出会ってから、絵馬と共にあった佐藤さんの人生、それはどのようなものだったのだろう。

七戸町伝統の南部小絵馬を作り続けて二十六年 南部小絵馬

開花と現実

開花と現実

 描く事に本格的に向き合ったのは小学校6年生の時。勉強が嫌いでお昼ご飯を食べに自宅に帰り、そのまま戻らないような子供だった佐藤さんの少年時代。
 そんなとき「佐藤くんはこんなことしてる子じゃないんだけどなぁ」の先生の言葉。
 初めて自分の絵を高く評価してくれる先生と出会ったことで眠っていた潜在能力がパっと花開いた。
 それからというもの、絵を描くことにのめり込み、「将来は画家になりたい」という夢を持つようになった。目覚めた潜在能力は勉学にまで及び、成績はぐんぐん伸びた。
 普通に絵が好きな子が子供の頃、勉強ノートにマンガなどの落書きをするのはよくあること。なんと佐藤少年は授業中に落書きではなく、鉛筆を彫刻刀に持ち変え、版画(ドライポイント)を彫っていたというから驚きだ。

 ある時、画家になるにはどうしたらいいのかを先生に尋ねると、成績優秀であった佐藤少年は進学校を進められ、青森県立八戸高等学校へ進学。
 中学校では主に版画による創作が中心であったが、高校で油絵と出会い美術部部長を務めた。
 小学生の頃から、「画家」を夢見ていたが、父の病を期に安定した職に就くことを考え、高校卒業後は明治大学 法学部に進学。
 それでも描くことを捨てずに、東京都杉並区 高円寺にある絵画研究所にてデッサン等を学ぶが、絵に対するかつてほどの情熱は薄れていた。社会人になっても描くことは続けていたが、その後結婚、子供の誕生などめまぐるしい毎日の中、筆を持つ事も少なくなっていった。

絵馬との出会い

絵馬との出会い

 今から25年ほど前、商業的に七戸南部小絵馬を売ろうと数人の地元団体が活動を始める。
 それは数ある南部小絵馬の中から13種類、比較的シンプルで分かりやすいものを選び、そのデザインを元に絵馬を制作、地元菓子店を通じて販売するというも のだった。
 南部小絵馬とは古くからの馬産地であった七戸町において良馬が授かるように願いを込め、寺院などに奉納したとされる馬が描かれた絵馬のこと。
 古くは室町時代の絵馬が七戸町には現存している。
 小田子不動堂に奉納された南部小絵馬など108点はそういった当時の貴重な文化を示すとされ、1990年国の重要有形民俗文化財に指定された。

 しかし、そんな活動の中、絵馬を描いていた男性が亡くなってしまい、 絵に心得のある佐藤さんに声がかかった。
それが絵馬との出会いだった。その頃制作していた絵馬は、あまり独自性は出さずに本来の絵馬そのものを元にして描いたものであったが、その頃から13種類では足りないほど、絵馬の世界は深い、「自分の絵馬を作りたい」と考えていたそう。

 佐藤さんは、1700年頃制作された絵馬が一番優れていると語る。
 ひとくちに「南部小絵馬」といっても、作者も制作年数も図案も様々、やはり見る人が見ると構図や描画の仕方に優劣があるようだ。中でも、1700年頃の絵馬は、南部小絵馬の研究家が、これらの絵馬を描いたのは京都の画家だろう、と推測するほどに独特の描線が美しい。
 同じ構図の絵馬が、かつて南部藩であった八戸地方でも発見されている。このことから絵馬を描いた画家が南部藩を旅しながら絵馬を描いたのではないか、とも推測されている。
 佐藤さんはこれについて、「デッサンの基礎がしっかりと身についており、馬の躍動感、曲線も素晴らしい。埋もれさせておくにはあまりにももったいない」と高い芸術性に大きな魅力とロマンを見いだした。
 「ここまで明確に図案化され、かつデザイン的で完成度の高い絵馬は、全国にもなかなか無いものである」と佐藤さんは語る。

南部小絵馬

南部小絵馬

 七戸を擁する南部地方は、平安時代から名馬の産地として風声が高く、宇治川の先陣争いで有名な、佐々木高綱の乗馬・唼月(いけづき=七戸産)、梶原景季の 乗馬・磨墨(するすみ=三戸産)の産地として知られ、藩政時代に良馬を献上したことで、藩主より特別の保護を受けていた歴史がある。
 平安時代あるいはそれ以前、日本において馬は「神の乗り物」であった。
 馬を大切に思う気持ちが信仰と結びつき、馬を描いた「絵馬」を見町観音堂、小田子不動堂へ奉納。人々は満願報謝、畜産振興を祈願した。現存する素晴らしく格調高い絵馬はそうして生まれたとされている。 (右図)

 七戸の絵馬からは「当時の人々の馬への愛情がすごく感じられる」と佐藤さんは優しく語る。そんな佐藤さんの姿がかつての馬を想う人々と重なり、時代を超えて受け継がれる「想い」のあたたかさにロマンを感じた。
 絵馬の画風は、上方文化や江戸文化の影響を受けたものと推測され、その独特の画風が描き継がれる中で政治や文化を同じくする旧南部地方に広く分布したもの らしい。民衆の願いを込めて邪念無く描き続けているうちに伝統がうまれ、型が出来、独特の構図が生まれ見るものを夢幻の境地に誘い込む素晴らしい民画とし て発展したのであった。

見町観音堂

見町観音堂

小田子不動堂

小田子不動堂

佐藤さんの南部小絵馬

佐藤さんの南部小絵馬

 佐藤さんの作る絵馬は、ヒバかほうホオの木しか使用しない。それも原木の丸太を3~5年乾燥させてから板にし、さらに木のクセをとりながら乾燥、形成を重ねてゆがみをなくした物を使用している。
 「安価な木材では色をのせたとき滲んでしまい、色を重ねることが出来ず深みが出ない」のだそう。実際、佐藤さんの絵馬に触れさせて頂いたが、ずっしりと重 く、木材の表面はとろけるような淡い木色と質感があった。手に残るヒバの香りが何とも言えず上質で、仕事の深さから、佐藤さんの絵馬作りへの想いが感じら れた。

 「私は理系の人間なんです」と佐藤さんは言う。

 それは佐藤さんの絵馬を見ていると、「なるほど」と感じてしまうところがある。計算された色の調和と丁寧で繊細なつくりが見事だ。「かざりごま」と呼ばれる 絵馬に描かれた馬の腹のあたりを鈴や布でくるむように装飾した種の絵馬を描く事が多い佐藤さんだが、装飾部分の幾何学的で細やかな線、花や鳥をモチーフに した刺繍や模様の描画がとても美しい。深みのある色彩だが、描かれた馬が浮き立ち、鮮やかに踊る。もっと、いくらでも見ていたいような気持ちになる絵馬の作り手だ。
 南部小絵馬の資料にある「かざりごま」の装飾部分はほとんどが風化していて今ではどんな絵が描かれていたのか、もう見ることは出来ない。しかし「見えない から楽しい」と佐藤さん。見えない分想像力がかき立てられるようだ。つまり飾りの部分は全て佐藤さんの創作であるということに驚く。
 約15年前東京都浜松町にて、大絵馬を制作している作家の方と「大絵馬 小絵馬展」を開催、女性を中心に好評を得た。今年秋、青森市でも展覧会を開く予定で、作業場にはそれに向け作りためている描きかけの絵馬があった。

作業机

 佐藤さんの作業机の正面にはオーディオ機器、左手側にはジャズ、トランス、ダンスミュージックのCDがみっちりと収まっていた。作業中はお気に入りの一曲 を大音量で響かせながら筆を走らせているそう☆ 佐藤さんの作業机は沢山の画材、道具が整頓されており、皿の上の顔料、並べられた筆が美しく、 品の良い佐藤さんの人間性が感じられた。

 正面にはオーディオ機器、 左手側にはCDがみっちり! 右手側にはものすごい筆の数!

作業机作業机作業机

七戸を想う

七戸を想う

 佐藤さんは絵馬を作る傍ら、町内で学習塾を経営している。毎年、県内有数の進学校を目指す夢多き学生達を導き続けている。取材中も佐藤さんを慕って学生達がやってきていた。
 「優秀な人材になって、いつか七戸町に戻って来て欲しい」
 と七戸の発展と、若き戦士達の健闘を願う。
 さらに平成22年12月東北新幹線全線開業を機に、自分が作った絵馬が七戸の発展につながれば、 と佐藤さんの七戸への想いは大きい。

 佐藤さんの絵馬は「道の駅しちのへ」にて 手描きのものと、 印刷のものが購入可! 売られているもの以外の図柄を佐藤さんに依頼して 描いて頂く事も出来ます!

絵馬工房
〒039-2524青森県上北郡七戸町字寺裏12-5
電話:0176-62-6748

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